連日テレビや諸メディアでは、複数のシナリオや政策をめぐって、患者数の予測や、今後の見通し等が詳しく語られている。だがそれがどういう根拠で推定され、それに対する異論や批判があるのかどうかはよく分からない。そうしたいわば「予測の裏事情」とでもいうべき問題を考えるのにうってつけなのは、山口+福島編『予測がつくる社会』(東大出版)、日比野愛子さん執筆の第六章『感染症シミュレーションにみるモデルの生態学』という論考である。日比野さんは社会心理学出身で、長いことナノバイオ領域のラボにも所属し、現在STS領域の若手のホープの一人である.近年さまざまなタイプのシミュレーションの役割に興味をもち、このコロナ騒ぎのはるか前に、感染症のシュミレーションモデルに興味をもって、この章を書いたのであるが、今読見直すと、その先駆的な内容に驚かされる。(やはり前に読んだものは忘れてしまうものである。)
詳細な内容については、直接本書を参照してほしいが、その概略だけいうと、前半はそもそも感染症モデルというのはどういうもので、それにどういうタイプがあるのか、わかりやすく説明してある。現在使われているのはSIRモデルといい、S=感染可能人口、I=感染者人口、R=回復者人口の間の関係を定式化して、流行の変化を推定するモデルである。日比野氏によるとこれはかなり単純なモデルで、そこにさまざまな条件、例えば決定論か確率論か、地理学的条件、対象集団の性質等を加味することでモデルが複雑化するという。これに対して、エージェントモデルというのが最近対抗馬として研究が進んでいるが、これは自律的にふるまう複数主体(エージェント)を想定してそれを仮想空間上に走らせて、そのエージェント間の相互の振る舞いをみるという。これらのシミュレーション手法に対して、それが現実の政治にどう使われてきたか(或いは使われてこなかったか)が次のテーマになる。章の後半は、現実の研究者に対する聞き取りをもとに、これらモデルのバリエーション、データの重要性、そして政策に適用する際の障害が詳細に論じられている。
その聞き取りの対象の一つに台湾の研究者がいるが、これは台湾ではこうした研究が非常に盛んだかららしい。詳細は省くが、モデルといっても色々あり、対象の感染症も固有の性質があるため、そうした対象のデータとモデルの間には複雑な相互依存関係があり、一筋縄ではいかない。日比野氏の重要な論点の一つは、まさにこのデータ整備とモデルの成長には密接な関係があるので、データが整備されてなければ、モデルも進化しようがないのである。
さらに政策への応用は微妙である。台湾では2009年のH1N1新型インフルエンザの大流行によって政策担当者がこうしたシミュレーションの効果に大きく期待するようになったという。他方、日本ではこうした政策がとりにくいと、現在の日本のコロナ対策のある種の不透明さをすでに予見するような指摘がある。つまり従来ある制度的な対応がうまくいった(この場合は特にSARS対策)ために、こうしたデータ整備、シミュレーションモデル等の政策利用が進まなかったという側面もあるのだ。これは本章では記されていないが、日本における感染症シミュレーション研究はかなり遅れており、この章でも主に参照されているのは、最近メディアにもよく登場する北大の西浦氏中心であるが、それは本邦では他に専門家があまりいないかららしい。またなぜPCR検査を巡って混乱が続くのかも、こうした背景から理解できる点もある。
いづれにせよ、この論考はニュアンスにとみ、こうしたモデルが政策と接続することのむずかしさも同時に明らかにしている。関心にあるかたには是非一読をおすすめしたい。
詳細な内容については、直接本書を参照してほしいが、その概略だけいうと、前半はそもそも感染症モデルというのはどういうもので、それにどういうタイプがあるのか、わかりやすく説明してある。現在使われているのはSIRモデルといい、S=感染可能人口、I=感染者人口、R=回復者人口の間の関係を定式化して、流行の変化を推定するモデルである。日比野氏によるとこれはかなり単純なモデルで、そこにさまざまな条件、例えば決定論か確率論か、地理学的条件、対象集団の性質等を加味することでモデルが複雑化するという。これに対して、エージェントモデルというのが最近対抗馬として研究が進んでいるが、これは自律的にふるまう複数主体(エージェント)を想定してそれを仮想空間上に走らせて、そのエージェント間の相互の振る舞いをみるという。これらのシミュレーション手法に対して、それが現実の政治にどう使われてきたか(或いは使われてこなかったか)が次のテーマになる。章の後半は、現実の研究者に対する聞き取りをもとに、これらモデルのバリエーション、データの重要性、そして政策に適用する際の障害が詳細に論じられている。
その聞き取りの対象の一つに台湾の研究者がいるが、これは台湾ではこうした研究が非常に盛んだかららしい。詳細は省くが、モデルといっても色々あり、対象の感染症も固有の性質があるため、そうした対象のデータとモデルの間には複雑な相互依存関係があり、一筋縄ではいかない。日比野氏の重要な論点の一つは、まさにこのデータ整備とモデルの成長には密接な関係があるので、データが整備されてなければ、モデルも進化しようがないのである。
さらに政策への応用は微妙である。台湾では2009年のH1N1新型インフルエンザの大流行によって政策担当者がこうしたシミュレーションの効果に大きく期待するようになったという。他方、日本ではこうした政策がとりにくいと、現在の日本のコロナ対策のある種の不透明さをすでに予見するような指摘がある。つまり従来ある制度的な対応がうまくいった(この場合は特にSARS対策)ために、こうしたデータ整備、シミュレーションモデル等の政策利用が進まなかったという側面もあるのだ。これは本章では記されていないが、日本における感染症シミュレーション研究はかなり遅れており、この章でも主に参照されているのは、最近メディアにもよく登場する北大の西浦氏中心であるが、それは本邦では他に専門家があまりいないかららしい。またなぜPCR検査を巡って混乱が続くのかも、こうした背景から理解できる点もある。
いづれにせよ、この論考はニュアンスにとみ、こうしたモデルが政策と接続することのむずかしさも同時に明らかにしている。関心にあるかたには是非一読をおすすめしたい。