先日旧知の科学論学者B.ラトゥールが芸大かどこかの招待で来日した際に、久しぶりに再会する機会があった。雑談時に、たまたま建築家のコールハースについて、話題が及んだが、奴いわく、「コールハースは知的に破綻している」。その理由は「ガイアについて何の思想も持ってないから」とのこと。ラトゥールが近年ガイア論に凝っているのは有名だが、ガイアについて思索がないから知的に破綻とは、ずいぶんな言い方である。
だがある意味、こうした批判の裏には、最近の時代精神(zeitgeist)とでもいえる雰囲気が反映されているともいえる。内容的には大して新鮮味もないanthropocene「人新世」についての近年の騒ぎも、その背後には明らかにある種の閉塞感がある。こうした動向に便乗して、元々インドネシア研究者だったある学者は、資本主義の廃墟、みたいな本まで出しているし、温暖化否定論者バッシングで有名な科学史家は、勢いあまって地球破綻のSFまで書いている。遅れてきた世紀末、みたいな潮流の中では、確かにコールハース流のある種の資本主義肯定論(かなりひねくれたスタンスだが)は、時代の雰囲気にそぐわなくなってきた感もある。寿命百年だ、火星探査だ、あるいは魔術の時代だ(?)といった、お決まりのハイプ言説が存在するとはいえ、そこに心躍るような感じはない。かつてのロマン派が賞賛したように、遺跡や廃墟の方が、宇宙船よりも時代のアイコンとしてはふさわしいのかもしれない。
その意味では、田根の登場は-本人が意図しているかどうかは別として-まさに時宜にかなったもの、といえなくもない。建築の新しさよりも持続性をという彼の主張を、最近のリノベ論と並べて論じる評者もいる。ただしちょっと気になるのは、田根は場所の記憶や持続性を強調する一方で、誰も見たことがない建物をデザインしたい、という野心も述べている点である。これが歴史と考古の差異に関係するのだが、歴史的な地域性を強調するだけなら、当該地域で伝統的とされる様式を採用すればいいだけで、それこそ民家でもボザール様式でも何でもよろしい。しかし考古となれば、そこから出てきうる形態素には、現在の観点から言えば、ある種の斬新さ、他者性だけでなく、違和感すら感じられる可能性もある。大阪万博の際、江藤淳が縄文風の「太陽の塔」を評して、「共同体感覚が欠けている」、と痛罵したことがあるが、それはそうした違和感からだろう。
土地の記憶という、田根が主張する考古学的な意味での連続性と、現実の感覚としての斬新さの間にはギャップがないだろうか?ある特定の地域の地層を掘り進めて行けば、今まで見たことがなかったような形態素が見つかる可能性は否定できない。しかしそれは同時に、現時点からみるとある種の違和感を感じるような、特殊な形態であるかもしれない。仮にその斬新さだけに惚れて建築の要素として採用するというなら(彼がそうしている訳ではないが)、それと宇宙船的デザインはそんなに違わないかもしれない。縄文土器はある意味宇宙的にもみえるし。
また、考古学的な文物は、遺物であると同時に、当時の政治や宗教と分かちがたく結びついていたはずで、単にその現実についての情報が欠けているだけである。古墳は当然当時の権力者の権勢を見せつける舞台装置であったとすれば、その意味合いを考えずに、その形態だけを採用するのは問題があろう。もちろんそこが彼の考古学の最も重要なポイントになるはずである。
田根は建築家の役割はコンセプトを作ること、と大胆に定義している。となれば、この考古(学)、さらには土地の「記憶」とはそもそも何なのか、それは政治、文化、そして宗教といった観点から、どういう含意をもちうるのか、という点はこれからその実態が明らかになるだろう。廃墟感が強まってきた21世紀だからこそ、まさにそれにふさわしい世代の建築のあり方への探索がかいま見られるのである。
だがある意味、こうした批判の裏には、最近の時代精神(zeitgeist)とでもいえる雰囲気が反映されているともいえる。内容的には大して新鮮味もないanthropocene「人新世」についての近年の騒ぎも、その背後には明らかにある種の閉塞感がある。こうした動向に便乗して、元々インドネシア研究者だったある学者は、資本主義の廃墟、みたいな本まで出しているし、温暖化否定論者バッシングで有名な科学史家は、勢いあまって地球破綻のSFまで書いている。遅れてきた世紀末、みたいな潮流の中では、確かにコールハース流のある種の資本主義肯定論(かなりひねくれたスタンスだが)は、時代の雰囲気にそぐわなくなってきた感もある。寿命百年だ、火星探査だ、あるいは魔術の時代だ(?)といった、お決まりのハイプ言説が存在するとはいえ、そこに心躍るような感じはない。かつてのロマン派が賞賛したように、遺跡や廃墟の方が、宇宙船よりも時代のアイコンとしてはふさわしいのかもしれない。
その意味では、田根の登場は-本人が意図しているかどうかは別として-まさに時宜にかなったもの、といえなくもない。建築の新しさよりも持続性をという彼の主張を、最近のリノベ論と並べて論じる評者もいる。ただしちょっと気になるのは、田根は場所の記憶や持続性を強調する一方で、誰も見たことがない建物をデザインしたい、という野心も述べている点である。これが歴史と考古の差異に関係するのだが、歴史的な地域性を強調するだけなら、当該地域で伝統的とされる様式を採用すればいいだけで、それこそ民家でもボザール様式でも何でもよろしい。しかし考古となれば、そこから出てきうる形態素には、現在の観点から言えば、ある種の斬新さ、他者性だけでなく、違和感すら感じられる可能性もある。大阪万博の際、江藤淳が縄文風の「太陽の塔」を評して、「共同体感覚が欠けている」、と痛罵したことがあるが、それはそうした違和感からだろう。
土地の記憶という、田根が主張する考古学的な意味での連続性と、現実の感覚としての斬新さの間にはギャップがないだろうか?ある特定の地域の地層を掘り進めて行けば、今まで見たことがなかったような形態素が見つかる可能性は否定できない。しかしそれは同時に、現時点からみるとある種の違和感を感じるような、特殊な形態であるかもしれない。仮にその斬新さだけに惚れて建築の要素として採用するというなら(彼がそうしている訳ではないが)、それと宇宙船的デザインはそんなに違わないかもしれない。縄文土器はある意味宇宙的にもみえるし。
また、考古学的な文物は、遺物であると同時に、当時の政治や宗教と分かちがたく結びついていたはずで、単にその現実についての情報が欠けているだけである。古墳は当然当時の権力者の権勢を見せつける舞台装置であったとすれば、その意味合いを考えずに、その形態だけを採用するのは問題があろう。もちろんそこが彼の考古学の最も重要なポイントになるはずである。
田根は建築家の役割はコンセプトを作ること、と大胆に定義している。となれば、この考古(学)、さらには土地の「記憶」とはそもそも何なのか、それは政治、文化、そして宗教といった観点から、どういう含意をもちうるのか、という点はこれからその実態が明らかになるだろう。廃墟感が強まってきた21世紀だからこそ、まさにそれにふさわしい世代の建築のあり方への探索がかいま見られるのである。