予測がつくる社会は、予測という現象に焦点をあてて、複数の分野でその働きを検討したものであるが、科学技術についての近年の社会科学的アプローチを総体的に扱おうとしたのが、この著作である。
副題の、『科学技術の社会的研究』、というのはsocial studies of science and technologyを直訳したものであるが、社会的研究とは、社会科学の様々なアプローチという意味であり、本書でもラボの民族誌的研究、ビッグサイエンス的プロジェクトの歴史、さらにより一般的な問題(たとえばデータ捏造問題)についての考察等を含んでいる。
本書は大きく分けて三部構成になっているが、まず序論では、この分野での基本的な理論的背景(たとえば社会的構築主義やANT、期待社会学やインフラ研究といった様々なタイプの科学社会学的理論)がどのような認識論的背景からうまれ、どういう利点と限界があるかを詳しく論じている。
第一部「研究実践のミクロ分析」はライフサイエンス・創薬系ラボでの民族誌的調査に基づく諸問題、たとえば日々変化する研究過程をどう概念化するか(第一章)、基本的に創発的な特性をもつ研究をマネージすることにどんな組織論的問題が生じるか(第二章)、あるいは知識移転といわれる現象は現実的には何を意味し、その限界は何か(第三章)といったテーマを扱っている。
第二部「研究実践のマクロ分析」では、よりマクロの視点から、研究プロジェクトや特定分野の動態、政治・政策や市場とのかかわりといったテーマを扱っている。天然物化学のダイナミズムを参考に、特定の科学分野が環境の変化にどう適応して進化するか(第四章)、ケミカルバイオロジーという分野を中心に、ラボ、学会、政策が相互に影響を与えつつ、どのように共生産(co-produce)されていくか(第五章)、本邦最大級のライフサイエンス・プロジェクトであるタンパク3000に関わる批判的言説がどのように生み出されたか(第六章)、データベースに代表される知識インフラといわれる分野の研究において、インフラ概念がもつ基本的に矛盾した価値のベクトル(第七章)といった問題が多角的に議論されている。
第三部「リスク,組織,研究体制」は、以上二つの部以外の多様な論点を扱った章の集まりである。データ捏造問題が、例の小保方事件で騒がれたが(1)、この問題を組織事故/組織安全と捉えなおし、科学がもつ自己防御システムの機能のあり方とこうした捏造問題はどう関係するのか(第八章)、さらにより一般的に、様々な複雑なシステムにおいて、事故原因のようなものを論じる際に、どこまでその原因を遡及できるのか、その限界は何か(第九章)(2)、テクノロジーが身体機能を拡張(エンハンスする)ことの諸問題はしばしば倫理的側面だけから論じられがちだが、エンハンスの意味は関係する分野の構造や身体観によっても大きく異なるという点を、国際スポーツと記憶という全く異なる分野でのエンハンス論争を比較して論じたもの(第十章)、さらに前書『学習の生態学』の基本テーマであった、実験という概念を、現実社会での実験として特定した場合、どういう問題が生じるかを論じたもの(第十一章)等である。
最後に、前書に掲載できなかった論文として、危機管理組織として救命救急センターを見た際に浮かびあがってくる、危機管理という行為の諸特徴と限界を論じた章を附論として加えている。
本書の目的は、本邦でしばしば非常に狭く理解されているSTS(科学技術社会論と訳されているが)の視座ーその多くが倫理か、科学コミュニケーション研究に限定されている(3)ーを超えて、科学技術の社会的研究がもつ、射程の豊かさの一端を示すことにある。本書を構成する章の半数は、英文国際誌に掲載されたものを邦訳したものであり、国際的なレベルで、リアルタイムにどういう議論がになされているかを知るのにも好都合である。実際科学や技術という鎧をより詳細に観察すれば、そこでのダイナミズムが他の領域のそれと深く結びついているという事実はすぐに分かることである。
また本書には収録されていないが、科学技術の領域と、アートやデザインのそれを比較検討する試みは、多くの未開拓のテーマが含まれている。これらもまた、科学技術の社会的研究が今後開拓すべき領域として(たとえばインフラ美学研究)、その重要性は増す一方であろう。
注
(1)この章の執筆は小保方事件のはるか前であるが、この章の観点から問題を再検討してみるのも興味ぶかい。
(2)何故かこの章はある有名私大の国語の入試問題になった。
(3)(STSというのは)研究調査のための倫理手続きのことか、と理系の知り合いに言われて驚いたことがある。